体外受精(IVF)や顕微授精(ICSI)を受けるとき、「治療が子どもの遺伝子に影響しないだろうか」と気になる方は少なくありません。近年注目されているのが「DNAメチル化」という、遺伝子の“スイッチ”の入り方に関わる仕組みです。この記事では、生殖補助医療(ART)とDNAメチル化の関係を調べた17の研究を統合した系統的レビュー(Schaub et al. Fertil Steril, 2024)をご紹介します。結論を先にお伝えすると、研究チームは「ARTによるメチル化への影響は、広範でも一貫したものでもないようだ」と結論づけています。そして、臨床的な意味という観点では、まだ分かっていないこともあります。順を追って見ていきます。
なぜこの研究が行われたのか
ARTによって世界で800万人以上が誕生しているとされます。一方で、この論文の冒頭では、ARTが低出生体重・早産・妊娠高血圧腎症などと関連することが知られていること、また、ベックウィズ・ヴィーデマン症候群やアンジェルマン症候群といった、まれな「インプリンティング異常症」という「DNAメチル化」という遺伝子の”スイッチ”の異常による疾患との関連が指摘されてきたことが紹介されています。
こうした背景から、「卵子や精子、胚を体外で扱うことが、DNAメチル化に影響しているのではないか」という仮説が検討されてきました。ただし、これまでの研究は、調べた組織(臍帯血、胎盤、頬粘膜など)も、比較した集団も、使った測定装置もバラバラで、結果を並べて比べることが困難でした。そこで研究チームは、ゲノム全体のメチル化を調べた研究を集めて整理し、共通して見えてくるものがあるかを検証しました。
そもそもDNAメチル化とは
DNAの塩基配列そのもの(=設計図の文字)は変わらないまま、遺伝子の働きやすさを調節する「目印」のことです。設計図に付ける付箋のようなもので、環境や年齢によっても変化します。「メチル化が違う=病気になる」という単純な関係ではない点が、この記事を読むうえでの大切な前提です。
どんな研究だったか
この論文の研究デザインは系統的レビューです。ARTまたは不妊症によるメチル化の違いを、ゲノム全体にわたって調べた人の研究を、文献データベースから網羅的に探しました。1,928件の記録から重複を除き、最終的に17研究が採用されています。
対象となった組織は、胚(栄養外胚葉)1件、妊娠初期の胎盤2件・胎児組織1件、満期胎盤2件、臍帯血7件、新生児のろ紙血(乾燥血液スポット)3件、小児の頬粘膜1件・小児の末梢血1件、成人の末梢血2件。つまり、胚から成人までのライフステージを横断的に見渡せる構成になっています。
比較の内訳は、IVF vs 自然妊娠が11件、ICSI vs 自然妊娠が4件、体外受精以外の不妊治療(NIFT:人工授精や排卵誘発など)vs 自然妊娠が4件、NIFT vs IVFが4件、不妊症の集団 vs 妊よう性のある集団が5件でした。
わかったこと

① 「複数の研究で一致して見つかった遺伝子」はごくわずか
胎盤の研究では、IVFと自然妊娠を比べて2つの研究が共通して指摘した遺伝子はPYY 1個だけでした。しかも一方の研究では「メチル化が高い」、もう一方では「低い」と、向きが逆でした。研究チームはこれを、被験者の違いや偶然の可能性を示すものと解釈しています。なお、この2研究は「妊娠初期の胎盤」と「満期の胎盤」という別々の組織を調べたもので、妊娠初期の胎盤どうしを比べた2研究の間では、変化が共通する遺伝子はゼロでした。
血液(臍帯血・新生児ろ紙血)では、IVFと自然妊娠を比べて2つの研究が共通して挙げた遺伝子が11個、そのうち3つの研究が共通して挙げた遺伝子が1個(NECAB3)ありました。数十万か所のメチル化部位を調べた研究の集まりで、一致したのがこの程度、という規模感です。
② 顕微授精(ICSI)でも、研究間で一致した変化は見つからなかった
ICSIと自然妊娠を比較した研究どうしでは、臍帯血の2研究の間でも、新生児ろ紙血の2研究の間でも、共通して見つかった遺伝子はゼロでした。両者をまとめて見比べると3つの遺伝子(NAP1L5、PEG10、L3MBTL)が2研究で挙がりましたが、これもメチル化の向きが互いに逆でした。
ただし、これは「個々の研究で差が出なかった」という意味ではありません。たとえばICSIの臍帯血を調べた研究では4,730か所の差が報告されています。研究どうしを突き合わせると同じ遺伝子が再現されない――つまり一貫した所見として残らない、ということです。
また、人工授精や排卵誘発と自然妊娠の比較では、どの組織でも共通する遺伝子は見つかりませんでした。
③ 出生時に見えた違いは、その後の年齢では確認されなかった
この総説の中で、最も安心につながる知見です。臍帯血や新生児血で「複数研究が一致して挙げた遺伝子」は、小児期(8〜10歳)の末梢血でも、成人期(22〜35歳)の末梢血でも、ひとつも有意ではありませんでした。
さらに、13〜20歳の若年者231人と自然妊娠の1,188人を比べた研究では、統計的な補正を行うと有意な差はゼロ。成人(22〜35歳)158人と自然妊娠75人を比べた研究でも有意な差はゼロでした。
研究チームは、「もしARTによってこれらの遺伝子のメチル化が影響を受けるとしても、その変化は持続しないことを示唆する」と述べています。
ひとつ補足すると、小児期については頬粘膜・末梢血それぞれ1研究ずつしかないため、「複数の研究で一致するか」という観点での判定はできません(個々の研究では、頬粘膜で127か所、小児の末梢血で1か所の有意差が報告されています)。この年代のデータがまだ薄いことは、押さえておきたい点です。
この結果をどう受け止めるか
まず、この総説は「臨床的な症状や病気」を測った研究ではありません。調べているのはあくまでメチル化という分子レベルの指標であり、「メチル化に差がある/ない」ことと「子どもが健康に育つ/育たない」ことは、直接イコールではありません。「ARTは子どもの発達や健康に影響しない」と、この論文だけから言い切ることはできません。ここは、記事として最も誠実にお伝えしたい点です。
そのうえで、この総説が言えている範囲は明確です。
- 一貫性がない=影響は小さい可能性が高い:もしARTが強く一貫した影響を及ぼしているなら、同じ組織・同じ比較をした研究どうしで同じ遺伝子が繰り返し見つかるはずです。実際にはほとんど重ならず、向きすら逆になることがありました。研究チームは、これを「ARTによる差はごくわずかであることを示唆する」と結論しています。
- 見つかった差も、年齢とともに確認されなくなる:出生時の所見が、小児期・成人期に引き継がれていませんでした。
限界も率直に挙げられています。研究ごとに調べた組織も測定装置(大規模なEPICアレイから、わずか1,536か所しか測れない小さなアレイまで)も統計の基準もバラバラで、そもそも直接比較しにくいこと。多くの研究が胚や配偶子の凍結の有無を区別していないこと。ART以外の要因──不妊症そのものの背景──を切り分けられる研究が5件しかないこと。動物実験や、特定のインプリント遺伝子だけを調べた研究は今回対象外で、それらでは有意な変化を報告したものもあること。そして、ごく少人数の研究(たとえば胚を調べた研究は3例 vs 3例)も含まれていることです。
つまり、「差が見つからなかった」ことの一部は、「差がない」からではなく「見つけられるほどの精度がなかった」からかもしれない、という可能性は残ります。過度に安心もせず、過度に恐れもしない。それが現時点での適切な距離感です。
当院の考え方
不妊治療を受けた方から、「体外受精や顕微授精で、子どもに何かしてしまったのではないか」というご不安をうかがうことがあります。この総説が示しているのは、胚から成人までを横断して見ても、ARTに由来する一貫したメチル化の変化は今のところ確認されていないということです。少なくとも、「体外受精や顕微授精をすると遺伝子のスイッチが広く書き換わってしまう」というイメージは、現在のデータからは支持されません。
お子さんの将来について心配になるのは、多くの親御さんが自然に感じるお気持ちです。診察の際に、どうぞ遠慮なくお聞かせください。
おわりに
当院では、これから妊娠を考えている方や不妊治療を検討されている方に向けて、一人ひとりの状況に合わせたご相談・診療を行っています。ご夫婦だけでは判断しきれない、ご自身やご家族の具体的な不安についても、診察の際にていねいにご説明させていただきます。
出典・参考文献
- Schaub AM, Gonzalez TL, Dorfman AE, Novoa AG, Hussaini RA, Harakuni PM, et al. A systematic review of genome-wide analyses of methylation changes associated with assisted reproductive technologies in various tissues. Fertil Steril. 2024;121(1):80-94. doi:10.1016/j.fertnstert.2023.10.007
文責
小林 睦(torch clinic 常勤医師)
※ 本記事は2026年7月時点の情報に基づいて作成しています。
